肝胆膵・移植外科の世界的名医 幕内 雅敏 医師
医師を決めることは、人生を選択すること。各分野の名医に、医師としての使命感や最先端の医療を担う矜持、そして、患者の持つべき覚悟や準備について伺いました。
<略歴>(肩書等は2015年取材時のものです)
日本赤十字社医療センター院長
東京大学名誉教授
東京大学医学部卒業
国立がんセンター病院、信州大学医学部第一外科教授などを経て1994年、東京大学医学部第二外科教授就任。2007年より現職。
1993年には成人への生体肝移植を世界で初めて成功させた他、肝移植で幾つも業績を残した。
肝臓は、血管が複雑に入り組み最も手術が難しい臓器の一つで、その肝臓癌の手術に、超音波診断器を世界で初めて導入し、腫瘍の周りの血管を特殊な色素で染め、切除を行なう手術法を開発。癌の根治率を上げ、世界を驚かせた。東京都出身。
東京大学名誉教授、元日本赤十字社医療センター長
幕内 雅敏 医師に聞く
話の展開が非常に早く、質問に対する答えが常に明確な幕内医師。事前に編集部から送った資料を手に、一つ一つと丁寧に答えられる様子からも、診療で患者にどの様に接しているかを窺い知ることが出来ました。医療と患者のことを思う情熱と誠実さが、言葉の端々に感じられるインタビューとなりました。
死亡率が高い病院は当然大問題
今、医療現場では色々問題がありますが、最近やはり話題になっているのは連続する患者さんの死亡でしょう。少し前には、生体肝移植を受けた患者9人のうち5人が死亡したというニュースがありました。この病院では難しい症例をやっているから成績が悪いと言いますが、それは屁理屈です。同じような話はずっと前から聞いています。生体肝移植というのは、手術と同じくらい術後管理が大変です。つまり、術後管理体制が十分できていない病院でやるべきではないのです。術前もしっかりとした検査が必要です。術前に検査が不十分だから、ドナーが死ぬのです。
何でもやればいいというものでもありません。「うちは難しい症例ばかりやっているから」と言うのは詭弁です。どんな症例でもやるということは、術前検査をして、手術適応を決めていないということなのです。難しい症例を助けて初めて意義のある手術をしたことになるのです。
つまり、いくら最先端のことをやっていても、やはり結果は結果です。要するに「患者さんが生きるか死ぬか」です。死亡に導かれるハプニングというのは肝胆膵領域の手術では極めて稀です。術後に死亡してしまうということは、術後にしっかりと患者さんの面倒を見るだけの人手がないということも意味するのです。
メディアの大罪
術後管理というのは、例えば点滴をどうするとか、拒絶反応が起こっているか起こっていないか判断し、患者の様子に応じて素早く対応するといったことです。移植の場合は、そういうことがしっかりと出来ないと、全てが患者さんたちの命にかかわるのです。
では、病院に行く前に、患者さんがどうやってそういう実態を知ったらいいかというと、メディアがしっかりと調べて報道することです。メディアがしっかりと発表しなければダメです。大切なのは死亡率などです。手術の成績発表なら、学会発表もありますから。
例えば、最近も死亡率の高いことが発覚したT医師だけが非難されていますが、その医師だけを責めるのはおかしいと思います。メディアがとても犯罪的なのは、こういう問題ある医師や組織をよく調べもせず持ち上げたり批判したりする点です。
例えばメディアが賞をあげたりするわけです。賞は文化勲章など色々ありますが、一般の人が分かりやすい、そういう賞を授与してしまっているわけです。「どうして?」と思います。よく調べないまま、表彰するマスコミにも問題があると思います。
データ改ざんより悪質な架空の数値
ある有名国立大学医学部の教授が開発したある検査装置が良いと聞いてその装置を研究費で買い、計測してみたのですが、検査データが彼らの主張する理論と合わないのです。「何これ」と思いました。おかしいと思って、その大学の出身医師にその検査について聞きました。
その教授は、自分の教室でその機械を使わせて、自分の意見と合わないようなデータが出てくると、何回でも測定をやり直させるというのです。
そういうことが続くと、医局員も馬鹿ではないから、3回位「お前の測定は違う」と言われると、もう機械で計っても意味がないから、適当にデータを書いて出すわけです。
その教室では教授は神様なのです。私がいた東大は非常にオープンで、実力のない医師にとっては怖いところです。カンファレンスで若い者が私(教授)に食って掛かります。それと違って、批判の出ない教室ではみんな、Yes, Sir ! なんでしょう。
これは1~2例のデータの改ざんレベルどころではありません。架空の数値が出てくるのですから。それを世の中に発表して、おおそうか凄い凄いと評価されるわけです。それを大学全体で支持する。そういう体質がその大学全体にあるわけです。とんでもない話です。
名医選びではデータを聞け
名医かどうかを見極めようと思ったら、医師に成績を聞いて下さい。どういう手術を何例行ない、結果がどうだったのかということです。手術死が何人、入院中の死が何人、そのパーセント、それを全部出してもらうのです。
こういうネガティブなデータを、しっかりとマスコミ側が追及して出させないといけません。手術の種類は厳密に同じ手術ではないでしょうが、決まった形で保険請求をするのだから、比較は出来る。難しいということはないと思います。しっかりと追求すれば、正確な数字が出ます。私たちは、ある一定期間で1057例の肝切除中、一例も死亡がありませんでした。全例退院です。
成人の生体肝移植では、私の教室があった東大は退院率が95%です。肝臓移植はしっかり術後管理をすれば95%生きるのです。退院率とは、歩いて家に帰ることが出来る率ということです。この退院率は日赤医療センターでも同じです。
ある有名国立大学医学部では、退院率がなんと75%です。95%と比較して20%の差があります。100例もやらない内に有意差が出ます。
私の父が言っていましたが、戦争で、大体、兵隊の10人に1人死者が出ると、その部隊は壊滅だそうです。つまり、死亡者の10倍の負傷兵が出るので、部隊として役に立たないからだそうです。ましてや、4人に1人死んでいるのは問題です。調べればすぐ分かるというより、調べなくても、スタッフが学会で自ら発表しています。私たちは、その発表をよく恥ずかしくもなく出して来るなと思ったほどでした。メディアはそういう調査すらしていないのです。
医師や病院の評判は看護師に聞く
生体肝移植のT医大のH病院、腹腔鏡手術で問題になっているG大。これらの大学病院も成績が悪かったのです。いくつかそういうところがあります。
しかし、結局のところ病院ではなく上に立つ人なのです。医師が患者さんを診るわけですから。
報道する側がしっかりと質問票を作って、教室の人とか、あなたのところの成績はこのデータで間違っていませんかと調べてもらえばいいと思います。
もう一つの方法は、病院に行って、医者ではなくて看護婦さんとか、そういう人達の評判をきくのも一つの手です。あるS国立大学病院では、教授の選考委員会の委員がしっかりと手術を見学していました。手術を出来るかどうかを判断していました。これは良い方法だと思います。
また、あるK国立大学病院の教授は、本当に腕が悪くて、だからそのまた弟子たちも腕が悪いのです。でも、そこの弟子たちはよく紙(論文)は書くのです。でも手術は全然できません。だから、代々手術出来ない外科医が教授になり、トップになってしまいます。
教授になってから一回も手術部に来ない人がいるのです。それでは外科医と言えません。基礎研究の医者と言えばいいでしょうか。それは、選考した大学の選考委員会が悪いのです。こうしたことに学生たちは、とっても敏感です。
例えば、すごく偏差値が低かった医学部でも、一人良い医者が来てしっかりとした手術をして、それをメディアが報道したら一気に偏差値が上がったということがありました。現場の人が悪いということだけでなくて、報道する側の責任、そのニュースをしっかりと受け止める側の責任もあります。悪いニュースだけでなく、先ほども言ったように、良いニュースも影響力が大きいのです。賞を貰った偉い人だから、診て貰おうと思う人がいるわけです。新聞もそういう意味では、犯罪的な役割を背負っていると思います。
もうすでに厚労省の外郭団体で、ナショナル・クリニカル・データベース(NCD)という一般社団法人が出来ています。この団体は日本中の病院から様々なデータを集めており、手術の成績も報告しています。ある病院の死亡率がこのデータのものよりも高い場合は、その病院で手術を受けることは避けた方が良いでしょう。将来は各病院のデータも発表して頂きたいものです。
肝胆膵・移植外科の日本の医療レベル
肝胆膵、移植外科の分野で日本の医療レベルはすごく高いです。私は自慢で言いますが(笑)、生体肝移植、肝切除、ヘパティックベイン(肝静脈)、ポータルベイン(門脈)、私の名前が入っている論文は世界一多いのです。もちろん、全部私が書いたわけではなく、医局の若い医師たちも多数の論文を書いています。
私の弟子は7人教授になっていますが、その中で、手術が下手だからと問題になっている人は一人もいません。山形大学医学部、獨協医大、信州大、順天堂、日大、東大、帝京大。これで7人です。皆、手術がしっかりと出来るトップです。
手術の上手い下手で言うと、良い手術というのは、手術の時間が短い、出血が少ない手術とよく言われることがあります。私は、手術時間が長い、短いと競うというのはおかしいと思います。それは昔の話です。どうして昔は手術を短くしなければいけなかったかというと、麻酔が切れてしまうからです。そして、初期の頃は、やはり長い手術のあとは術後の状態が悪かったのです。それは、点滴のやり方など、術中管理がまだ発達していなかったからです。水分を体に入れ過ぎて、肺水腫になったりしました。今はしっかりと至適な量を投与しているので、何時間やっても問題ありません。私が行なった一番長い手術は、水曜の朝から始まり終わったのが金曜の午後4時でした。勿論、人間だから、途中、食事をしたりします。手術後、私たちは死にそうになっていますが、患者さんはぴんぴんしています。それで良いのです。
今は、手術を急ぐ必要は全然ないのです。確かに手術している私たちは早く終わりたいと思いますが(笑)。それは私たちのエゴであって、患者さんはそうではないでしょう。丁寧に、なるべく綺麗にやってほしいわけです。癌細胞全部取り除いてほしいわけですから、手術時間の短さを競うのはおかしいと思います。昔と違って世の中は常に新しいものに変化して来ているわけです。
しかし、腹腔鏡手術などのように傷を小さくする手術は、若い女性などにはいいかもしれません。でも、命がけの癌の手術をするのは、それとは違います。肝切除や膵切除では傷を小さくするより、癌を全て切除して、命を助けることが優先されるべきです。
医者にはこれを聞け
医者にはズバリ、ここ3年の手術で何人くらい死にましたか、何件手術をやって何人死にましたか?と尋ねて、それを正直に言う人は信頼できると思います。逆に死んでいませんと言う医師は、いい加減だと思います。何例手術したかというのも重要なことです。すごく症例が少ない可能性もあります。ただ単に数をこなしているというのでもダメです。その判断は単純ではありません。
患者さんは、そういうデータを聞いても、医学知識がないとその医師の良し悪しは分からないと思うかもしれませんが、現在私たちの領域では、手術して亡くなることは稀です。普通、手術後の死亡はゼロというか、まあ、数年に一例でしょう。生体肝移植でも亡くなっては駄目なのです。ですから、死亡率を聞くだけでも一つの目安になります。
また、他のところで手術をした患者さんが、術後の調子が悪いからもう一度診てほしいというケースもたまにあります。他の病院で手術して死にかかってこちらに救急車で運ばれてくる、ということもあります。これはひどい手術だ、と思うようなこともあります。
患者さんの方から手術数と死亡率を聞くことが大切ですが、その医者と病院が死亡率をどう判定し、報告するのかまで踏み込めないのが実態です。私にこういう経験があります。
私がある病院で胃の全摘術を行なっていた頃です。胃の切除に加えてスプレノ・パンクレアテクトミ(spleno-pancreatectomy)と呼ばれる、膵臓を半分くらいと脾臓も一塊にして取るという手術がありますが、ある医師が、「私は膵液のリーク(漏れ)は起こしたことがない」と言っていました。膵液はしばしば漏れて、入院期間が長引くのにも拘らず、膵液瘻(膵液がお腹の中に漏れること)は一例もないと言うのです。私は「え!それはおかしいな」と思って、カルテを見ました。
そうしたら、3年間で5例やって3例、60%に膵液瘻があったのには驚きました。こういう例もありますので、現時点での医療システムでは真実が公にされず、厳密には医師や各病院の比較が難しいのです。
限られた医療費をどう使うかの検討が必要
医療費を削減することは大事なことですが、限られた予算をどう使うかが大切です。
今や月に100万とか、極端な場合は年間6000万円も薬代がかかる抗癌剤があります。
例えば、イギリスではソラフェニブという高価な薬は、保険で認めていません。一方、日本ではこの種の高価な薬に制限を付けないで、健康保険で採用しているのは問題だと思います。
その薬では中央値(治療による50%生存率の延長期間)で2・7カ月~3カ月しか伸びないのに、健保で認めてしまって良いのでしょうか。今は薬が本当に高いのです。それを全部、国がお金を出していたら、とてもではないけれど保険制度が成り立たないと思います。
それに対して、C型肝炎は、薬を2~3カ月飲めば効果があり、完治することが出来ます。こういう費用の使い方は、有効だと思います。
肝癌の早期発見は、定期的に検診を続けることです。B型C型肝炎は年に4回検査し、小さいうちに見つけるのがベストです。肝癌の原因は、アフラトキシンという毒素、B型C型肝炎。それから、今の問題は何かというと、アルコール性や脂肪性肝炎で、これらによる肝癌が増えています。ヨーロッパは、元々アルコールでの発癌が多いのです。国によって発癌の原因は違います。
最初に名医にかかることの重要性
早期にしっかりとした医者にかかれば、適切な手術を受けられます。間違った医者に行き、再発をして再手術になれば長期生存率は下がります。
典型例は開腹手術して、切除不能ということで何もせずに閉じる。そして化学療法をやり、腫瘍がさらに大きくなってから、私のところに来ることもあります。病状がさらに悪くなってから取るわけですから、最初に執刀した医師より私の方がずっと苦労は多くなります。小さければ手術時間も短く済みます。大きさは重要な要素です。進行しただけ、予後は悪くなり、様々なデメリットが生じます。
肝切除を行なって術後に黄疸が出たとします。それは、手術適応が間違っていたということです。つまり、もっと切除範囲を小さくすべきだったのです。術後の患者さんの生死に関係なく、私は手術術式の適応が間違っていたと考えます。そういうことが起こらないように、患者さんも注意深く医者を選ぶべきだと思っています。治療法はいろいろあるわけですから。
医師不足の現況と対策
医師不足問題の原因の一つは大学が若い医者を抱えすぎていることです。なぜ、大学に医師が集まるかというと、研究し博士号を取りたい人が多いからです。この解決の為には、大学の医師を減らして、医師一人一人の給与を上げることが必要だと思います。
大学が医師を放出し、普通の診療に必要な数だけを雇っていれば、医師の偏在化は大幅に解決出来ると思います。こうしたことが大学では必要と思います。今の保険制度は患者にとって、安くて済むというメリットがあります。しかし、医師もある程度の年になったら、ドクターフィ(医師の技術料)を取り入れてもいいのではないでしょうか。いわゆる御指名料です。
最近、厚労省の医療費削減、締め付けがすごいのですが、例えば、全国の日赤700床以上の病院のうち、2病院しか黒字になっていないのです。あとは全部赤字です。このままでは大病院は破綻します。
いずれにしても、医療システムはその考え方の基本をしっかりと公開し、透明性を持ってすべきだと思います。
名医は減っていく傾向にある
名医の定義とは何か?ということをはっきりさせるべきですが、一般論として言うならば、名医は増えないと思います。これは人間性の問題だからです。今後の傾向として、名医と言われる人は少なくなっていくだろうと思います。
要するに進取の気性があって、努力し人がやらないことをやっていくという人が、これから日本でどんどん増えていくと思いますか? 今の日本社会を見る限り、そうではないでしょう。だから、減ると私は思います。
医師の育成システムとして、研修設備はあった方が良いと思いますが、それは教育の一部に過ぎず、極めて初期の研修だと思います。それをやったからといって、技術がうんと上がり、名医になれるかと言ったらまったくの別問題です。
初期に研修用機器などを使って教育した方が、例えば一日二日やったくらいである程度のレベルには達するでしょうから、初歩的な事故は少なくなるように思います。
患者さんを実験台にするという言い方がありますが、私たち外科医が難しい手術を行なうのは、ある意味みんな実験と言えます。しかし、今まで自分が沢山手術をやってきたことを踏まえて言うならば、新しい試みを行なうのは必要なことだと思います。医学の発展のために、私は色々な新しい手術適応、術前準備(例えば門脈枝塞栓術)、新しい術式を開発し、患者さんを助けると共に、沢山の論文を書いてきたわけです。
今も、手術の一週間前や時には前日まで、手術をこうしたらいいのではないか、ああしたらいいのではないかと、いろいろ考えて手術に臨んでいます。肝臓の手術というのは手術法が本当に沢山あるからです。
私たちは手術のことを、いつも考えています。やはり考えている時間が患者さんを助けると共に、新しい手術を産むことにもなるので、大切だろうと思います。
名医の条件
名医は、自分でなるものですが、それ以前の問題として、一般には知られていなくて騒がれてもいませんが、実は外科医が激減しています。
1980年代は大体2100人くらいが日本外科学会に入っていました。ところが、2000年には、ガクンと減って500人くらいです。それから少し回復していますが、これから、今までの方式を大きく変えないと、私たちの後の世代では、外科の医療は成り立たないと思います。
だから私たちが死ぬまでは、年寄りをこき使って、定年制みたいなのは止めて、手術出来る人はうんと高齢までやらせないと、とてもではないけど追いつかないでしょう。
競争が厳しく、時間のかかることを、汗水たらして夜中までバカになってやる、そういう人は減っています。
それは、家庭の生活様式が西洋式になって、休みが十分取れる職場がいい、休みの日には、家族一緒に遊びにいって、十分休養とって、また働く。それも一日に働く時間は8時間というのが希望では、とても私たちのような生活とは一致しません。
外科医の生活は厳しいです。それは、下手したら人が死ぬという責任を常に負っているからです。だから、私たちは人を殺さないように、術前術後管理を、各受け持ち医がしっかりやっているかどうか、常に注意していなければならないのです。
それは正に技を極める職人の道と似ていると言えます。
たしかに、医療機器の進歩でロボットによる手術が話題に上っています。しかし、ロボットを使うのは人間であるということです。ロボットを使うなら職人ではない、という意味ではありません。何を使っても職人的であれ、ということです。
手術用ロボット、ロボティック・サージャリ―(robotic surgery)というのは、うちの病院にも一台入っていますが、使ってみてやり易いならば、使った方が良いと思います。
それ以前の問題で、肝臓の手術の基本的トレーニングを何も受けていない人が、いきなり腹腔鏡やロボットで肝切除手術を行なうからおかしなことになってしまうのです。結局は基本的な技術の習得が必要であるという意味で、職人的だということです。
私の生活する世界は狭いものです。家に帰って食事をして寝て、あるいは他で食事して家に帰って寝て、また、次の朝に病院にやってくるだけです。ほぼ365日24時間、若い頃からずっとその繰り返しです。
しかし、人の命を預かっているのだから、そうでなくてはいけないと思います。そういう職人の極みといえる外科医が、現在の医療を支えています。これからは、そういう人が減っていくことが非常に心配です。それをどうやって他の方法が補っていけるかが、これからの先端的外科医療の大きな課題でしょう。
桜の花出版編集部(編)『2016年版 国民のための名医ランキング―いざという時の頼れる医師ガイド 全国名医276人厳選』桜の花出版、2016年、230~243頁、ISBN:978-4434206887